六には世・出世間の功德圓滿せり。一切の義具に此の如き等の六種の功德に依る。常に能く一切衆生を利益したまふ」と。已上 經文は極めて略なり。今須く言を加へて以て禮の法と爲す。一には應に念ずべし、一稱南無佛、皆已成佛道の故に、我無上功德田を歸命し禮したてまつる。二には應に念ずべし、慈眼をもて衆生を視はすこと、平等にして一子の如し、故に我極大慈悲の母を歸命し禮したてまつる。三には應に念ずべし、十方の諸大士、彌陀尊を恭敬したてまつるが故に、我無上兩足尊を歸命し禮したてまつる。四には應に念ずべし、一び佛名を聞くことを得ること、優曇華よりも過ぎたり、故に我極難値遇者を禮したてまつる。五には應に念ずべし、一百倶胝の界には二尊並びて出でたまはず、故に我希有大法王を歸命し禮したてまつる。六には應に念ずべし、佛法衆德海は三世同じく一體なり、故に我圓融万德尊を歸命し禮したてまつる。若し廣く行ずることを樂はば、應に龍樹菩薩の『十二禮』に依るべし。又善導和尚の六時の禮法有り、具に出すべからず。設ひ餘の行無からんとも、但禮拜に依て、亦往生することを得。『觀虚空藏菩薩佛名經』に云ふが如し。「阿彌陀佛を心を至して敬禮すれば、三惡道を離れて後に其の國に生ずることを得」と。
[四、正修念佛 讃嘆門]
第二に讃嘆門とは、是三業相應の口業なり。『十住婆沙』の第三(卷五易行品)に云ふが如し。「阿彌陀佛の本願是の如し。若し人我を念じ名を稱して自ら歸すれば、即ち必定に入りて阿耨菩提を得。是の故に常に應に憶念すべし。偈を以て稱讃せん。無量光明慧、身は眞金山の如し。我今身口意をして、合掌し稽首し禮したてまつる。 十方現在の佛、種種の因縁を以て、彼の佛功德を嘆じたまふ。我今歸命して禮したてまつる。 佛足には千輻輪あり、柔軟にして蓮華の色あり。見る者皆歡喜し、頭面に佛足を禮したてまつる。眉間の白毫の光は、猶し淸淨なる月の如し、面の光色を增益す。頭面に佛足を禮したてまつる。 彼の佛の言説したまふ所、諸の罪根を破除す、