二邊倶に死するが如し。有に著するも無に著するも、二事倶に失す」と。已上 是の故に行者常に諸法の本來空寂なりと觀じ、亦常に四弘願行を修習せよ。空と地とに依て宮舍を造立せんも、唯地唯空には終に成ずること能はざるが如し。此は是諸法の三諦相即せるに由るなり。故に『中論』(卷四)の偈に云く。「因縁所生の法は我説く即ち是空なりと。亦名て假名と爲す。亦是中道の義なり」と云云。更に『止觀』を撿せよ。 問。有に執するの見は罪過既に重し、縁事の菩提心、豈勝利有らんや。答。堅く有を執する時に、過失乃ち生ず。言ふ所の縁事は必ずしも堅執するに非ず。若し爾ずば、應に得道の類有るを見ること無かるべし。見空も亦爾なり。譬へば火を用ふるに手觸るれば害を爲し、觸れずば益有るが如し。空・有も亦爾り。
[四、正修念佛 作願門 利益]
二に利益を明さば、若し人説の如く、菩提心を發さば、設ひ餘行を少かかんも、願に隨ひて決定して極樂に往生せん。上品下生の類の如き是なり。是の如き利益無量なり、今略して一端を示さん。『止觀』(卷一下)に云く。「寶梁經に云く。比丘にして比丘の法を修せざれば、大千に唾はく處も無し。況や人の供養を受くることをやと。六十の比丘、悲泣して佛に白さく。我等、乍ち死すとも人の供養を受くること能はずと。佛言はく。汝慙愧の心を起せり。善いかな善いかなと。一の比丘、佛に白して言さく。何等の比丘か能く供養を受けんと。佛言はく。若し比丘の數に在りて、僧の業を修し僧の利を得ん者は、是の人能く供養を受けん。四果向は是僧の數なり、三十七品は是僧の業なり、四果は是僧の利なりと。比丘重ねて佛に白さく。若し大乘の心を發さん者は、復云何と。佛言はく。若し大乘の心を發して、一切智を求むるものは、數に墮せず、業を修せず、利を得ざれども、能く供養を受けんと。比丘驚きて問ひたてまつる。云何が是の人の能く供養を受けんと。佛言はく。是の人衣を受けて用て大地に敷き、揣食を受くること須彌山の如くならんも、亦能く畢に施主の恩を報ぜんと。當に知るべし、小乘の極果は、大乘の初心に及ばざることを」と已上、信施を消す