[四、正修念佛 觀察門 總相觀]
二に總相觀とは、先づ衆寶もて莊嚴せる廣大の蓮華を觀じ、次に阿彌陀佛の華臺の上に坐したまへるを觀ぜよ。身の色は百千万億の閻浮檀金の如く、身の高さは六十万億那由他恒河沙由旬なり。眉間の白毫は右に旋りて婉轉せること五須彌山の如く、眼は四大海水の如くにして、淸白分明なり。身の諸の毛孔より光明を演出すること須彌山の如く、圓光は百億の大千界の如し。光の中に无量恒河沙の化佛有まして、一一の化佛は无數の菩薩を以て侍者と爲す。是の如く八万四千の相有り、一一の相に各々八万四千の隨好有り。一一の好に復八万四千の光明有り。一一の光明遍く十方世界を照らし、念佛の衆生をば攝取して捨てたまはず。當に知るべし、一一の相の中に、各々七百五倶六百万の光明を具し、熾然赫奕として、神德巍巍たること金山王の大海の中に在るが如し。无量の化佛・菩薩、光の中に充滿して各々神通を現じ、彌陀佛を圍遶せり。彼の佛は是の如く无量の功德相好を具足して、菩薩衆會の中に在まして、正法を演説したまふ。行者是の時に都て餘の色相无く、須彌・鐵圍、大小の諸山悉く現ぜず、大海・江河・土地・樹林も悉く現ぜず。目に溢つる者は、但是彌陀佛の相好、世界に周遍する者は、亦是閻浮檀金の光明のみなり。譬へば劫水の世界に彌滿せるに、其の中の万物沈沒して現ぜず、滉瀁浩汗として只大水のみを見るが如く、彼の佛の光明も亦復是の如し。高く一切世界の上に出でて、相好光明照曜せずといふこと靡し。行者心眼を以て己身を見れば、彼の光明所照の中に在り。已上『觀經』『雙卷經』『般舟經』『大論』等の意に依る。此の觀成じて後に樂に隨ひて次の觀を作すのみ  或は應に觀ずべし。彼の佛は是三身一體の身なり。彼の一身に於て見る所不同なり。或は丈六、或は八尺、或は廣大の身なり。所現の身は皆金色にして利益する所は各々無量なり。