[五、助念方法 總結要行]
第七に總結要行とは、 問。上の諸門の中に、陳ぶる所既に多し、未だ知らず、何れの業をか往生の要と爲る。答。大菩提心と三業を護ると、深く信じ誠を至して常に佛を念ずとは、願に隨ひて決定して極樂に生ず。況や復餘の諸の妙行を具せんをや。 問。何が故ぞ此等を往生の要と爲る。答。菩提心の義は、前に具に釋せしが如し。三業の重惡は能く正道を障ふ、故に須く之を護るべし。往生の業には念佛を本と爲す。其の念佛の心は、必ず須く理の如くすべし。故に深信と至誠と常念との三事を具す。常念に三の益有り。迦才(淨土論卷上意)の云ふが如し。「一には諸惡の覺觀畢竟じて生ぜず、亦業障を消すことを得。二には善根增長して、亦見佛の因縁を種うることを得。三には薰習熟利し、命終の時に臨みて正念現前す」と。已上 業は願に由て轉ず。故に隨願往生と云ふ。總じて之を言はば、三業を護るは是止善にして、佛を稱念するは是行善なり。菩提心及び願は此の二善を扶助す。故に此等の法を往生の要と爲す。其の旨經論に出でたり。之を具にすること能はず。
[六、別時念佛]
大文第六に別時念佛とは二有り。初に尋常の別行を明し、次に臨終の行儀を明す。
[六、別時念佛 尋常別行]
第一に尋常の別行とは、日日の行法に於て、常に勇進すること能はず。故に應に時有りて別時の行を修すべし。或は一・二・三日、乃至七日、或は十日乃至九十日、樂に隨ひて之を修せよ。言ふ所の一日乃至七日とは、導和尚(觀念法門)云く。「般舟三昧經に、佛跋陀和に告げたまはく、是の行法を持てば便ち三昧を得、現在の諸佛悉く前に在まして立ちたまふ。其れ比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて、法の如く持戒完具し、獨り一處にして正しく西方の阿彌陀佛を念ずべし、今現に彼に在ます。所聞に隨ひて當に念ずべし、此を去ること十万億の佛刹なり、其の國を須摩提と名く。一心に之を念ずること一日一夜、若しは七日七夜すべし。