是の故に悲を起して、衆生をして魔界に於して即ち佛界、煩惱に於して即ち菩提にならしめんと欲す。是の故に慈悲を起す」と。已上 應に是の念を作すべし。魔界も佛界も、及び自他の界も、同じく空无相なり。此の諸法の无相は是即ち佛の眞軆なり。當に知るべし、魔界は即ち是佛身にして、亦即ち我が身なり。理无二なるが故なり。而も諸の衆生、妄想の夢未だ覺めず一實の相を解らざれば、是非の想を生じて五道に輪廻す。願はくは衆生をして平等の慧に入らしめんと。是の如く深く无縁の大悲を起し、乃至佛の妙色身を觀ずと雖も、三空門に入りて執着すべからず。熱金丸の色の妙なることを見ると雖も手に觸るべからざるが如し。況や餘事に於て着を生じ慢を生ぜんをや。是の觀を作す時、魔沮壞せず。故に『大般若經』(卷三四六)に、亦其の治を説きて云く。「一には諸法皆畢竟空なりと觀じ、二には一切の有情を棄捨せず」と。又『大論』(卷五〇)に云く。「十二入は皆是魔網にして、虚誑不實なり。此の中に於て六種の識を生ずるも、亦是魔網虚誑なり。何者か是實なる、唯不二の法あるのみ。眼も无く色も无し、乃至意も无く法等も无し、是を實と名く。衆生をして十二入を離れしむるが故に、常に種種の因縁を以て是の不二の法を説く」と。已上  問。何が故ぞ空を觀ぜば魔便を得ざるや。答。彼の『論』(智度論卷三七)に云く。「一切の法の中に皆着せず、着せざるが故に違錯すること无し。違錯无きが故に、魔も其の便を得ること能はず。譬へば人の身に瘡无くば、毒屑の中に臥すと雖も、毒も亦入らず、若し小瘡有らば則ち死するが如し」と。又『大集經』(卷四九)の月藏分の中に、他化天魔王、菩提心を發し記を受け願を發して云く。「我等現在・未來の諸佛の弟子の第一義と相應して住せん者をば護念し、供給し供養せん。若し我が敎に順ぜずして行者を惱亂せば、即ち彼の類をして種種の病を得しめ、神通を退失せしめん」と。取意 明らかに知んぬ、實魔は便を得ず、權魔は護念するのみ。前の二種の治は皆證據有るが故に、更に諸師の所釋を引かず。