唐朝に至るまで、阿彌陀佛を念じて淨土に往生せる者、道俗男女合して五十餘人あり、『淨土論』并に『瑞應傳』に出でたり。我が朝にも往生せる者亦其の數有り。具には慶氏の『日本往生の記』に在り。何に況や朝市に德を隱し、山林に名を逃れたる者の、獨り修して獨り去れる、誰か知ること得んや。 問。下下品の人と、五百の釋子とは、臨終に同じく念ずるに、昇沈何ぞ別なるや。答。『群疑論』(卷四)に會して云く。「五百の釋子は、但父の敎に依て一び佛を念ぜしも、菩提心を發して淨土に生れんことを求め慇懃に慙愧せず。又彼は至心ならず。復唯一念にして十念を具せざるが故なり」と。略抄
[七、念佛利益 惡趣利益]
第七に惡趣の利益を明さば、『大悲經』の第二に云く。「若し復人有りて、但心に佛を念じ、一びも敬信を生ぜば、我説く、是の人は、當に涅槃の果を得て涅槃の際を盡すべし。阿難且く人中の念佛の功德をば置く。若し畜生有りて、佛世尊に於て、能く念を生ぜば、我亦説く、其の善根の福報は當に涅槃を得べし」と。 問。何等か是なるや。答。同じき『經』(大悲經)の第三に、佛阿難に告げたまはく。「過去に大商主有りき。諸の商人を將ゐて大海に入りしに、其の船卒かに摩竭大魚の爲に、來りて呑み噛まれんと欲す。爾の時に商主、及び諸の商人、心驚き毛竪ちて各々皆悲泣せり。嗚呼奇なるかな、彼の閻浮提は是の如く樂しむべく、是の如く希有なり。世間の人身は是の如く得難きに、我今當に父母と離別せんと。姉妹・婦兒・親戚・朋友と別離して、我更に見ざらん。亦佛・法・衆僧をも見たてまつることを得ざらんと。極めて大に悲哭す。爾の時に商主、右の肩を偏袒し、右の膝を地に着けて、船の上に住り、一心に佛を念じ、合掌し禮拜して高聲に唱へて、諸佛の大无畏を得たまへる者、大慈悲ある者、一切衆生を憐愍したまふ者に南无したてまつると言へり。是の如く三び稱ふ。時に諸の商人、亦復同時に是の如く三び稱ふ。時に摩竭魚、佛の名号、禮拜の音聲を聞きて、大愛敬を生じ、