聞きて即ち口を閇づ。爾の時に商主、及び諸の商人、皆悉く安穩にして魚の難を免るることを得たり。時に摩渇魚佛の音聲を聞きて、心に喜樂を生じ、更に餘の諸の衆生をも食噉せざりき。是に因て命終して人中に生るることを得、其の佛の所に於て法を聞きて出家し、善知識に近づきて阿羅漢を得たり。阿難、汝彼の魚を觀よ、畜生道に生れて佛の名を聞くことを得、佛の名を聞き已りて乃至涅槃せり。何に況や人有りて、佛の名を聞くこと得、正法を聽聞せんをや」と。略抄 又『菩薩處胎經』(卷七)の八齋品に云く。「龍子金翅鳥の與に、而も頌を説きて曰く。殺は是不善の行なり、壽命を減して中夭す。身は朝の露虫の如し、光を見れば則ち命終ゆ。戒を持ちて佛語を奉ずれば、長壽天に生ずることを得、累劫に福德を積めば、畜生道に墮せず。今の身は龍の身爲れども、戒德淸明に行じ、六畜の中に墮せりと雖も、必望はくは自ら濟度せんと。是の時龍子此の頌を説ける時、龍子・龍女、心意開解せり。壽終の後には、皆當に阿彌陀佛の國に生ずべし」と。已上、八齋戒の龍子なり 餘の趣も佛語を信ぜば淨土に生ずること之に准ず。地獄の利益は前の國王の因縁、并に下の麄心妙果の如し。諸の餘の利益は、下の念佛功能の如し。
[八、念佛證據]
大文第八に念佛の證據とは、 問。一切の善業は各々利益有りて、各々往生することを得、何が故ぞ唯念佛の一門を勸むるや。答。今念佛を勸むることは、是餘の種種の妙行を遮せんとには非ず。只是男女・貴賎、行住坐臥を簡ばず、時處諸縁を論ぜず、之を修するに難からず。乃至臨終に往生を願求するに、其の便宜を得ること念佛に如かざればなり。故に『木槵經』に云く。「難陀國の波瑠璃王、使を遣はして佛に白して言さく。唯願はくは世尊、特に慈愍を垂れて、我に要法を賜ひ、我をして日夜に修行することを得易く、未來世の中に衆苦を遠離せしめたまへ。佛告げて言はく。大王、若し煩惱障・報障を滅せんと欲せば、當に木槵子一百八を貫きて以て常に自ら隨つべし。