文證无しと雖も理に約して以て成ず。何んとなれば天中に果を得れば即ち不退を得るが如く、淨土も亦爾なり。命長くして病无く、勝れたる侶を提携し、純正にして邪无く、唯淨にして染无く、恒に聖尊に事ふ。此の五の縁に由て其の處には退无し」と。已上略抄  問。九品の階位異解不同なり。遠法師の云ふが如し。「上上の生は四・五・六地なり、上中の生は初・二・三地なり。上下の生は地前の卅心なり」と。力法師云く。「上上は行・向、上中は十解、上下は十信なり」と。基師云く。「上上は十廻向、上中は解・行、上下は十信なり」と。有が云く。「上上は十住の初心、上中は十信の後心、上下は十信の初位なり」と。有が云く。「上上は十信、及び以前の能く三心を發して能く三行を修する者なり。上中と上下とは唯十信以前の菩提心を發して、善を修する凡夫を取る。起行の淺深以て三品を分つなり」と。諸師の所判不同なる所以は、无生忍の位の不同なるを以ての故なり。『仁王經』には无生忍は七・八・九地に在り、諸論には初地にあり、或は忍位なり。『本業瓔珞經』には十住に在り、『華嚴經』には十信に在り、『占察經』には一行三昧を修して相似の无生法忍を得る者を説けり。故に諸師各々一義に據るなり。中品の三生は、遠云く。「中上は是前の三果、中中は是七方便、中下は是解脱分の善を種ゑたる人なり」と。力法師も之に同じ。基云く。「中上は四善根、中中は三賢、中下は方便の前の人なり」と。有が云く。「次の如く忍と頂と煖となり」と。有が云く。「三生は並びに是解脱分の善根を種ゑたる人なり」と。已上六品亦餘釋有り。感禪師の『論』、龍興の『記』等に見えたり 下品の三生には別の階位无し、但是具縛造惡の人なり。 問。明けし、往生の人は、其の位に限り有りといふこと。寧んぞ猶是我等が分なりといふことを知らん。答。上品の人は階位設ひ深くとも、下品の三生は豈我等に非ざらんや。況や彼の後の釋には既に十信以前の凡夫を取て上品の三と爲るをや。又『觀經』の善導禪師の『玄義』には大小乘の方便以前の凡夫を以て、