而も心力猛利なる、火の如く毒の如くなれば、少しと雖も能く大事を成す。是死に垂とする時の心、決定して勇健なるが故に、百歳の行力に勝れり。是の後心を名けて大心と爲す。身及び諸根を捨つる事急なるを以ての故なり。人の陣に入るて身命を惜しまざるを名けて健と爲すが如く。阿羅漢の如きは是の身の著を捨つるが故に阿羅漢道を得」と已上 此に由て『安樂集』(卷上所引智度論卷二四)に云く。「一切衆生の臨終の時、刀風形を解き、死苦來り逼るに大怖畏を生ず。乃至便ち往生すること得」と。 問。深き觀念の力の罪を滅することは然るべし、云何ぞ佛號を稱念するに、无量の罪を滅するや。若し爾らば指を以て月を指すに、此の指應に能く闇なるべし。答。綽和尚(安樂集卷上意)釋して云く。「諸法は万差なり、一槩すべからず。自ら名の法に即せる有り、自ら名の法に異なれる有り。名の法に即せりとは、諸佛・菩薩の名號、禁咒の音辭、修多羅の章句等の如き是なり。禁咒の辭に日出でて東方乍ち赤く乍ち黄なりと曰はんに、假令ひ酉亥に禁を行ふも患へる者亦愈ゆるが如し。又人有りて狗の所噛を被らんに、虎の骨を炙りて之を熨せば患へる者愈ゆるも、或は時に骨无くば、好く掌を攋げて之を磨り、口の中に喚びて虎來虎來と言はんに、患へる者亦愈ゆるが如し。或は後人有りて即轉筋を患はんに、木瓜の杖を炙りて之を熨せば患へる者即ち愈ゆるも、或は木瓜无くば手を炙りて之を磨り、口に木瓜と喚ばんに、患へる者亦愈ゆるなり。名の法に異なるといふは、指を以て月を指すが如き是なり」と。已上 『要決』に云く。「諸佛は願行もて此の果名を成じたまへば、但能く號を念ぜば具に衆の德を苞む、故に大善と成る」と。已上、彼の文は『淨名』『成實』の文を引けり。具には上の助念方法の如し  問。若し下下品の五逆罪を造れるに、十び佛を念ずるに由て往生することを得といはば、云何ぞ『佛藏經』の第三(卷中意)に「大莊嚴佛の滅後に四比丘有り。第一義・无所有・畢竟空の法を捨てて、外道尼犍子の論を貪樂せり。是の人命終して阿鼻獄に墮ち、仰臥・伏臥・左脇臥・右脇臥、各々九百万億歳、熱鐵の上に於て、燒燃し焳爛し、死し已りて更に灰地獄・大灰地獄・活地獄・黑繩地獄に生じ、