釋迦運啓けて弘く有縁を益し、敎隨方に闡けて並に法潤に霑ふ。親しく聖化に逢へるものは、道三乘を悟りき。福薄く因疎なるものをば勸めて淨土に歸せしめたまふ。此の業を作す者は、專ら彌陀を念じ、一切の善根、廻しめ彼の國に生ず。彌陀の本願、誓ひて娑婆を度したまふ。上現生の一形を盡し、下臨終の十念に至るまで、倶に能く決定して皆往生を得」と。已上 又同じき(西方要決)後序に云く。「夫れ以みれば、生れて像季に居して、聖を去れること斯し遙かなり。道三乘に預れども、契悟するに方無し。人天の兩位は、躁動して安からず。智博く情弘くして、能く久しく處するに堪へたり。若し識癡に行淺きものは、恐らくは幽塗に溺れんこと必せり。須く跡を娑婆に遠ざかり心を淨域に栖ましむべし。」已上 此の中に三乘といふは、即ち是聖道門の意なり。淨土といふは、即ち是淨土門の意なり。三乘・淨土、聖道・淨土、其の名異なりと雖も、其の意亦同じ。淨土宗の學者、先づ須く此の旨を知るべし。設ひ先に聖道門を學せる人なりと雖も、若し淨土門に於て其の志有らば、須く聖道を弃てて淨土に歸すべし。例せば彼の曇鸞法師は四論の講説を捨てて一向に淨土に歸し、道綽禪師は涅槃の廣業を閣きて偏に西方の行を弘めしが如し。上古の賢哲、猶以て此の如し。末代の愚魯、寧ろ之に遵はざらんや。 問て曰く。聖道家の諸宗に、各々師資相承有り。謂く天台宗の如きは、慧文・南岳・天台・章安・智威・慧威・玄朗・湛然、次第相承せり。眞言宗の如きは、大日如來・金剛薩埵・龍樹・龍智・金智・不空、次第相承せり。自餘の諸宗、又各々相承血脈有り。而るに今言ふ所の淨土宗に、師資相承血脈の譜有りや。答て曰く。聖道家の血脈の如く、淨土宗にも亦血脈有り。但し淨土の一宗に於て、諸家亦不同なり。所謂廬山の慧遠法師・慈愍三藏・道綽・善導等是なり。