是淨土の正依經なり。 次に傍らに往生淨土を明かすの敎といふは、『華嚴』・『法華』・『隨求』・『尊勝』等の諸の往生淨土を明かすの諸經是なり。又『起信論』・『寶性論』・『十住毘婆娑論』・『攝大乘論』等の諸の往生淨土を明かすの諸論是なり。 凡そ此の『集』の中に、聖道・淨土の二門を立つる意は、聖道を捨てて淨土門に入らしめんが爲なり。此に就て二の由有り。一には大聖を去れること遙遠なるに由る、二には理深く解微なるに由る。此の宗の中に二門を立つることは、獨り道綽のみに非ず。曇鸞・天台・迦才・慈恩等の諸師、皆此の意有り。且く曇鸞法師の『往生論註』(巻上)に云く。「謹みて龍樹菩薩の十住毘婆沙を案ずるに云く、菩薩阿毘跋致を求むるに、二種の道有り。一には難行道、二には易行道なり。難行道は、謂はく五濁の世、無佛の時に於て、阿毘跋致を求むるを難と爲す。此の難に乃し多途有り。粗五三を言ひて以て義の意を示さん。一には外道の相善は菩薩の法を亂る、二には聲聞は自利にして大慈悲を障ふ、三には無顧の惡人他の勝德を破す、四には顛倒の善果能く梵行を壞す、五には唯是自力にして他力の持つ無し。斯等の如きの事目に觸るるに皆是なり。譬へば陸路の歩行は則ち苦しきが如し。易行道は、謂く但信佛の因縁を以て淨土に生ぜんと願ず。佛願力に乘じて便ち彼の淸淨の土に往生を得しむ。佛力住持して即ち大乘正定の聚に入る。正定は即ち是阿毘跋致なり。譬へば水路に船に乘じて則ち樂きが如し」と。已上 此の中に難行道といふは、即ち是聖道門なり。易行道といふは即ち是淨土門なり。難行・易行、聖道・淨土、其の言異なりと雖も其の意是同じ。天台・迦才之に同じ。應に知るべし。又『西方要決』に云く。「仰いで惟みれば、