(觀念法門)云く。「三昧道場に入らんを除きて、日別に彌陀佛を念ずること一萬して、命を畢るまで相續せば、即ち彌陀の加念を蒙りて、罪障を除くことを得。又佛と聖衆と、常に來りて護念したまふことを蒙る。既に護念を蒙りぬれば、即ち延年轉壽を得ん」と。

[一六、慇懃付屬章]
  釋迦如來、彌陀の名號を以て、慇懃に舍利弗等に付屬したまふの文

『阿彌陀經』に云く。「佛此の經を説き已りたまふに、舍利弗及び諸の比丘、一切世間の天・人・阿脩羅等、佛の所説を聞きて、歡喜し信受して、禮を作して去りにき」と。
善導の『法事讃』(卷下)に、此の文を釋して云く。「世尊の説法、時將に了んなんとして、慇懃に彌陀の名を付屬したまふ。五濁增の時に疑謗するもの多くして、道俗相嫌ひて聞くことを用ひず。修行するもの有るを見ては瞋毒を起し、方便破壞して競ひて怨を生ぜん。此くの如きの生盲闡提の輩、頓敎を毀滅して永く沈淪す。大地微塵劫を超過するも、未だ三途の身を離るることを得べからず。大衆同心に、皆所有破法罪の因縁を懺悔せよ」と。
私に云く。凡そ三經の意を案ずるに、諸行の中に、念佛を選擇して、以て旨歸と爲す。 先づ『雙卷經』の中に三の選擇有り。一には選擇本願、二には選擇讃歎、三には選擇留敎なり。一に選擇本願といふは、念佛は是法藏比丘、二百一十億の中に於て、選擇する所の往生の行なり。細しき旨上に見えたり。故に選擇本願と云ふなり。二に選擇讃歎といふは、上の三輩の中に、菩提心等の餘行を擧ぐと雖も、釋迦即ち餘行を讃歎せずして、唯念佛に於て而も讃歎して、「當知一念無上功德」(大經卷下意)と云へり。故に選擇讃歎と云ふなり。三に選擇留敎といふは、