又上に餘行諸善を擧ぐと雖も、釋迦選擇して唯念佛の一法を留めたまふ。故に選擇留敎と云ふなり。 次に『觀經』の中に、又三の選擇有り。一には選擇攝取、二には選擇化讃、三には選擇付屬なり。一に選擇攝取といふは、『觀經』の中に、定散の諸行を説くと雖も、彌陀の光明、唯念佛の衆生を照らして、攝取して捨てたまはずといふ。故に選擇攝取と云ふなり。二に選擇化讃といふは、下品上生の人、聞經と稱佛との二行有りと雖も、彌陀の化佛、念佛を選擇して、「汝稱佛名故、諸罪消滅、我來迎汝」と云ふ。故に選擇化讃と云ふなり。三に選擇付屬といふは、又定散の諸行を明すと雖も、唯獨り念佛の一行を付屬す。故に選擇付屬と云ふなり。 次に『阿彌陀經』の中に一の選擇有り、所謂選擇證誠なり。已に諸經の中に於て、多く往生の諸行を説くと雖も、六方の諸佛、彼の諸行に於ては、而も證誠したまはず、此の經の中に念佛往生を説くに至りて、六方恒沙の諸佛、各々舌を舒べて大千に覆ひて、證實の語を説きて而も之を證誠したまふ。故に選擇證誠と云ふなり。 加之、『般舟三昧經』の中に又一の選擇有り、所謂、選擇我名なり。彌陀自ら説きて言はく。「我が國に來生せんと欲はん者は、常に我が名を念じて、休息せしむること莫れ」(一卷本意)と。故に選擇我名と云ふなり。本願と攝取と我名と化讃と、此の四は、是彌陀の選擇なり。讃歎と留敎と付屬と、斯の三は、是釋迦の選擇なり。證誠は六方恒沙の諸佛の選擇なり。然れば則ち釋迦・彌陀及び十方の各々恒沙等の諸佛、同心に念佛の一行を選擇したまへり。餘行は爾らず。故に知んぬ、三經共に念佛を選びて以て宗致と爲すのみ。