滿虚空中。水鳥樹林 及與諸佛 所出音聲、皆演妙法。與十二部經合、出定之時、憶持不失。見此事已、名見無量壽佛 極樂世界。是爲普觀想、名第十二觀。無量壽佛、化身無數。與觀世音 大勢至、常來至此 行人之所。
佛告阿難 及韋提希。若欲至心 生西方者、先當觀於 一丈六像 在池水上。如先所説、無量壽佛 身量無邊、非是凡夫 心力所及。然彼如來 宿願力故、有憶想者、必得成就。但想佛像、得無量福。何況觀佛 具足身相。阿彌陀佛、神通如意、於十方國、變現自在。或現大身、滿虚空中、或現小身、丈六八尺。所現之形、皆眞金色。圓光化佛 及寶蓮華、如上所説。觀世音菩薩 及大勢至、

水鳥・樹林および諸仏の所出の音声、みな妙法を演ぶ。十二部経と合して、出定の時憶持して失せず。この事を見已るを「無量寿仏の極楽世界を見る」と名づく。これを「普観想」とす、「第十二の観」と名づく。無量寿仏、化身無数なり。観世音・大勢至と、常にこの行人の所に来至す。」
 21仏、阿難および韋提希に告げたまわく、「もし心を至して西方に生ぜんと欲せん者は、先ず当に一つの丈六の像を観じて池水の上に在くべし。先の所説のごときは、無量寿仏、身量無辺にして、これ凡夫の心力の及ぶところにあらず。然るを、かの如来の宿願力のゆえに、憶想することあれば、必ず成就することを得。但し仏像を想うに、無量の福を得。何にいわんや仏の具足の身相を観ぜんをや。阿弥陀仏、神通如意にして、十方の国において変現自在なり。あるいは大身を現じて虚空の中に満ち、あるいは小身を現じて丈六八尺なり。所現の形、みな真金色なり。円光・化仏および宝蓮華、上の所説のごとし。観世音菩薩および大勢至、一切処において身同じ。