無量寿修多羅の章句、我、偈誦をもって総じて説きおわんぬ。
論じていわく、
(第一・願偈大意)この願偈は何の義をか明かす。かの安楽世界を観じて、阿弥陀如来を見たてまつり、かの国に生まれんと願ずることを示現するがゆえなり。
(第二・起観生信)いかんが観じ、いかんが信心を生ずる。もし善男子・善女人、五念門を修して行成就しぬれば、畢竟じて安楽国土に生まれて、かの阿弥陀仏を見たてまつることを得となり。
なんらか五念門。一つには礼拝門、二つには讃嘆門、三つには作願門、四つには観察門、五つには回向門なり。
いかなるか礼拝。身業をして、阿弥陀如来・応・正遍知を礼拝したまいき。
かの国に生ぜん意をなさせんがゆえなり。
いかなるか讃嘆する。口業をして讃嘆したまいき。
かの如来の名を称し、かの如来の光明智相のごとく、かの名義のごとく、実のごとく修行し相応せんと欲うがゆえなり。
いかなるか作願する。心に常に作願したまえりき。一心に専念して、畢竟じて安楽国土に往生して、実のごとく奢摩他を修行せんと欲うがゆえに。
いかんが観察する。智恵をして観察したまえりき。正念に彼を観ずることは、実のごとく毘婆舎那を修行せんと欲うがゆえなり。
かの観察に三種あり。なんらか三種、一つにはかの仏国土の荘厳功徳を観察す、二つには阿弥陀仏の荘厳功徳を観察す、