上の章に、身は動搖せずして遍く十方に至と云ふ。動ぜずして至る、豈に是一時の義に非ずや。此れと若爲が差別するや。答曰。上には但不動にして至ると言へども、或は前後有るべし。此には无前无後と言ふ。是れ差別と爲す。亦是上の不動の義を成ずるなり。若し一時ならずば則ち是往來なり。若し往來有ば則ち不動に非ず。是の故に上の不動の義を成ぜむ爲の故に須く一時を觀ずべしと。
雨天樂花衣 妙香等供養 讃諸佛功德 无有分別心
佛本何が故ぞ此の莊嚴を起したまふと。有る佛土を見そなはすに、菩薩・人・天、志趣廣からず、遍く十方无窮の世界に至て諸佛如來大衆を供養すること能はず、或は己れが土の穢濁なるを以て敢へて淨鄕に向詣せず、或は所居の淸淨なるを以て穢土を鄙薄す。此の如き等の種種の局分を以て、諸佛如來の所に於て周遍供養して廣大の善根を發起すること能はず。是の故に願じて言まはく。我れ成佛せむ時、願は我が國土の一切の菩薩・聲聞・天人大衆、遍く十方の一切諸佛の大會の處所に至て、天の樂・天の花・天の衣・天の香を雨らして、巧妙の弁辭を以て諸佛の功德を供養し讃嘆せむ。穢土の如來の大慈謙忍を嘆ずと雖も、佛土に雜穢の相有ることを見じ。淨土の如來の无量の莊嚴を嘆ずと雖も、佛土に淸淨の相有ることを見じ。何を以の故に、諸法等しきを以ての故に諸の如來等し。是の故に諸佛如來を名て等覺と爲す。若し佛土に於て優劣の心を起さば、假使ひ如來を供養すれども法の供養には非ざるなり。是の故に「雨天樂華衣妙香等供養讃諸佛功德无有分別心」と言たまへり。
何等世界无 佛法功德寶 我願皆往生 示佛法如佛