畺良耶舎ここには時称と云う。宋の元嘉の初めに京邑に建めたり。文帝のとき。
慈雲の讃に云わく、了義の中の了義なり。円頓の中の円頓なり、と。
已上
大智唱えて云わく、円頓一乗なり。純一にして雑なし、と。
已上
(正観記)律宗の戒度の云わく、仏名はすなわちこれ、劫を積んで薫修し、その万徳を攬る、すべて四字に彰る。このゆえに、これを称するに益を獲ること、浅きにあらず、と。
已上
律宗の用欽の云わく、今もし我が心口をもって、一仏の嘉号を称念すれば、すなわち因より果に至るまで、無量の功徳具足せざることなし、と。
已上
また云わく、一切諸仏、微塵劫を歴て実相を了悟して、一切を得ざるがゆえに、無相の大願を発して、修するに妙行に住することなし。証するに菩提を得ることなし。住するに国土を荘厳するにあらず。現ずるに神通の神通なきがゆえに、舌相を大千に遍くして、無説の説を示す。かるがゆえにこの経を勧信せしむ。あに心に思い、口に議るべけんや。私に謂わく、諸仏の不思議の功徳、須臾に弥陀の二報荘厳に収む。持名の行法は、かの諸仏の中に、また須らく弥陀を収むべきなり、と。
已上
(観経義疏)三論の祖師、嘉祥の云わく、問う、念仏三昧は何に因ってか、よくかくのごとき多罪を滅することを得るや、と。解して云わく、仏に無量の功徳います。仏の無量の功徳を念ずるがゆえに、無量の罪を滅することを得しむ、と。
已上