p.188 顕浄土真実行文類二(教行信証・行)
目次
//
前頁
/
次頁
(大経義疏)
法相の祖師、法位の云わく、諸仏はみな、徳を名に施す、名を称するは、すなわち徳を称するなり。徳、よく罪を滅し福を生ず。名もまたかくのごとし。もし仏名を信ずれば、よく善を生じ悪を滅すること、決定して疑いなし。称名往生、これ何の惑いかあらんや、と。
已上
禅宗の飛錫の云わく、念仏三昧の善、これ最上なり。万行の元首なるがゆえに、三昧王と曰う、と。
已上
『往生要集』に云わく、『双巻経』
(大経)
の三輩の業、浅深ありといえども、しかるに通じてみな「一向専念無量寿仏」と云えり。三つに、四十八願の中に念仏門において、別して一つの願を発して云わく、「乃至十念若不生者不取正覚」と。四つに、『観経』には、「極重の悪人、他の方便なし。ただ弥陀を称して極楽に生まるることを得」と。
已上
また云わく、『心地観経』の六種の功徳に依るべし。一つには無上大功徳田、二つには無上大恩徳、三つのは無足二足および多足衆生の中の尊なり。四つには、極めて値遇しがたきこと、優曇華のごとし。五つには、独り三千大千世界に出でたまう。六つには、世・出世間の功徳円満せり。義、つぶさにかくのごとき等の六種の功徳に依る。常によく一切衆生を利益したまう、と。
已上
この六種の功徳に依って、信和尚の云わく、一つには念ずべし、一称南無仏皆已成仏道のゆえに、我無上功徳田を帰命し礼したてまつる。二つには念ずべし、慈眼をもって衆生を視そなわすこと、平等にして一子のごとし。かるがゆえに、我、極大慈悲母を帰命し礼したてまつる。三つには念ずべし、十方の諸大士、弥陀尊を恭敬したてまつるがゆえに、我、無上両足尊を帰命し礼したてまつる。四つには念ずべし、ひとたび仏名を聞くことを