得ること、優曇華よりも過ぎたり。かるがゆえに我、極難値遇者を帰命し礼したてまつる。五つには念ずべし。一百倶胝界には二尊、並んで出でたまわず。かるがゆえに我、希有大法王を帰命し礼したてまつる。六つには念ずべし。仏法衆徳海は三世同じく一体なり。かるがゆえに我、円融万徳尊を帰命し礼したてまつる、と。
已上
また云わく、波利質多樹の華、一日衣に薫ずるに、瞻蔔華・波師迦華、千歳薫ずといえども、及ぶことあたわざるところなり。
已上
また云わく、一斤の石汁、よく千斤の銅を変じて金となす。雪山に草あり、名づけて忍辱とす。牛、もし食すればすなわち醍醐を得。尸利沙、昴星を見ればすなわち菓実を出すがごとし。
已上
『選択本願念仏集』
源空集に云わく、南無阿弥陀仏
往生の業は念仏を本とす、と。
また云わく、それ速やかに生死を離れんと欲わば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣きて、選びて浄土門に入れ。浄土門に入らんと欲わば、正雑二行の中に、しばらくもろもろの雑行を抛ちて、選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲わば、正助二業の中に、なお助業を傍にして、選びて正定を専らすべし。正定の業とは、すなわちこれ仏の名を称するなり。称名は必ず生まるることを得、仏の本願に依るがゆえに、と。
已上