当にまた例を引きて、自力・他力の相を示すべし。人、三塗を畏るるがゆえに、禁戒を受持す。禁戒を受持するがゆえに、よく禅定を修す。禅定を修するをもってのゆえに、神通を修習す。神通をもってのゆえに、よく四天下に遊ぶがごとし。かくのごとき等を名づけて自力とす。また、劣夫の、驢に跨りて上らざれども、転輪王の行くに従えば、すなわち虚空に乗じて四天下に遊ぶに障碍するところなきがごとし。かくのごとき等を名づけて他力とす。愚かなるかな、後の学者、他力の乗ずべきを聞きて、当に信心を生ずべし。自ら局分することなかれ、となり。
已上
(観経義疏)元照律師の云わく、あるいはこの方にして惑を破し真を証すれば、すなわち自力を運ぶがゆえに、大小の諸経に談ず。あるいは他方に往きて法を聞き道を悟るは、須らく他力を憑むべきがゆえに、往生浄土を説く。彼・此異なりといえども、方便にあらざることなし、自心を悟らしめんとなり、と。
已上
言一乗海者一乗者大乗、大乗者仏乗、得一乗者得阿耨多羅三藐三菩提、阿耨菩提者即是涅槃界、涅槃界者即是究竟法身、得究竟法身者則究竟一乗。無異如来無異法身、如来即法身、究竟一乗者即是無辺不断、大乗無有二乗三乗、二乗三乗者入於一乗、