p.197 顕浄土真実行文類二(教行信証・行)
目次
//
前頁
/
次頁
入らしめんとなり。一乗はすなわち第一義乗なり。ただこれ誓願一仏乗なり。
一乗者即第一義乗、唯是誓願一仏乗也。
『涅槃経』
(聖行品)
に言わく、善男子、実諦は名づけて大乗と曰う。大乗にあらざるは実諦と名づけず。善男子、実諦はこれ仏の所説なり、魔の所説にあらず。もしこれ魔説は仏説にあらざれば、実諦と名づけず。善男子、実諦は一道清浄にして、二あることなきなり。
已上
(徳王品)
また言わく、いかんが菩薩、一実に信順する。菩薩は、一切衆生をしてみな一道に帰せしむと了知するなり。一道はいわく大乗なり。諸仏・菩薩、衆生のためのゆえに分かちて三とす。このゆえに菩薩、不逆に信順す、と。
已上
(師子吼品)
また言わく、善男子、「畢竟」に二種あり。一つには荘厳畢竟、二つには究竟畢竟なり。一つには世間畢竟、二つには出世畢竟なり。荘厳畢竟は六波羅蜜なり。究竟畢竟は一切衆生得るところの一乗なり。一乗は名づけて仏性とす。この義をもってのゆえに、我「一切衆生悉有仏性」と説くなり。一切衆生ことごとく一乗あり。無明覆えるをもってのゆえに、見ることを得ることあたわず、と。
已上
また言わく、いかんが一とする、一切衆生ことごとく一乗なるがゆえに。いかんが非一なる、三乗を説くがゆえに。いかんが非一・非非一なる、無数の法なるがゆえなり、と。
已上
『華厳経』に言わく、文珠の法は常にしかなり。法王はただ一法なり。一切無碍人、一道より生死を出でたまえり。一切諸仏の身、ただこれ一法身なり。一心・一智慧なり。力・無畏もまたしかなり、と。
已上