(如来会)また、仏の聖徳の名を聞く、と言えり。
已上
『涅槃経』
(迦葉菩薩品)に言わく、いかんが名づけて「聞不具足」とする。如来の所説は十二部経なり。ただ六部を信じて、未だ六部を信ぜず。このゆえに名づけて「聞不具足」とす。またこの六部の経を受持すといえども、読誦に能わずして他のために解説するは、利益するところなけん。このゆえに名づけて「聞不具足」とす。またこの六部の経を受け已りて、論議のためのゆえに、勝他のためのゆえに、利養のためのゆえに、諸有のためのゆえに、持読誦説せん。このゆえに名づけて「聞不具足」とす、とのたまえり。
已上
(散善義)光明寺の和尚は、「一心専念」と云い、また「専心専念」と云えり、と。
已上
然経言聞者衆生聞仏願生起本末無有疑心、是曰聞也。言信心者則本願力回向之信心也。言歓喜者形身心悦予之貌也。言乃至者摂多少之言也。言一念者信心無二心故曰一念。是名一心。一心則清浄報土真因也。獲得金剛真心者横超五趣八難道、必獲現生十種益。何者為十。一者冥衆護持益、二者至徳具足益、三者転悪成善益、四者諸仏護念益、