p.245 顕浄土真実信文類三(教行信証・信)
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上一形にあるは少しく苦しきに似如たれども、前念に命終して後念にすなわちかの国に生まれて、長時・永劫に常に無為の法楽を受く。乃至成仏までに生死を径ず、あに快しみにあらずや。知るべし、と。
已上
「真仏弟子」と言うは、「真」の言は偽に対し、仮に対するなり。「弟子」とは釈迦・諸仏の弟子なり、金剛心の行人なり。この信・行に由って、必ず大涅槃を超証すべきがゆえに、「真仏弟子」と曰う。
言真仏弟子者真言対偽対仮也。弟子者釈迦・諸仏之弟子、金剛心行人也。由斯信行、必可超証大涅槃故曰真仏弟子。
『大本』に言わく、設い我仏を得たらんに、十方無量・不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が光明を蒙りてその身に触るる者、身心柔軟にして人天に超過せん。もし爾らずは、正覚を取らじ、と。
設い我仏を得たらんに、十方無量・不可思議の諸仏世界の衆生の類、我が名字を聞きて、菩薩の無生法忍・もろもろの深総持を得ずは、正覚を取らじ、と。
已上
『無量寿如来会』に言わく、もし我成仏せんに、周遍十方無量・無辺・不可思議・無等界の衆生の輩、仏の威光を蒙りて照触せらるる者、身心安楽にして人天に超過せん。もし爾らずは、菩提を取らじ、と。
已上
(大経)
また、法を聞きてよく忘れず、見て敬い得て大きに慶ばば、すなわち我が善き親友なり、と言えりと。
また言わく、それ至心ありて安楽国に生まれんと願ずれば、智慧明らかに達し、功徳殊勝を得べし、と。
(如来会)
また、広大勝解者、と言えりと。
また、かくのごとき等の類、大威徳の者、よく広大異門に生まる、と言えりと。