p.244 顕浄土真実信文類三(教行信証・信)
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随なり、と。
已上
「断」と言うは、往相の一心を発起するがゆえに、生として当に受くべき生なし。趣としてまた到るべき趣なし。すでに六趣・四生、因亡じ果滅す。かるがゆえにすなわち頓に三有の生死を断絶す。かるがゆえに「断」と曰うなり。「四流」は、すなわち四暴流なり。また生・老・病・死なり。
言断者発起往相一心故、無生而当受生。無趣而更応到趣。已六趣・四生因亡果滅。故即頓断絶三有生死。故曰断也。四流者則四暴流、又生・老・病・死也。
『大本』に言わく、かならず当に仏道を成りて、広く生死の流を度すべし、と。
(平等覚経)
また言わく、かならず当に世尊と作りて、将に一切生・老・死を度せんとす、と。
已上
『涅槃経』
(師子吼菩薩品)
に言わく、また涅槃は名づけて「洲渚」とす。何をもってのゆえに、四大の暴河に漂うことあたわざるがゆえに。何等をか四とする、一つには欲暴、二つには有暴、三つには見暴、四つには無明暴なり。このゆえに涅槃を名づけて「洲渚」とす、と。
已上
(般舟讃)
光明寺の和尚の云わく、もろもろの行者に白さく、凡夫生死、貪して厭わざるべからず。弥陀の浄土、軽めて欣わざるべからず。厭えばすなわち娑婆永く隔つ、欣えばすなわち浄土に常に居せり。隔つればすなわち六道の因亡じ、輪回の果自ずから滅す。因果すでに亡じてすなわち形と名と頓に絶うるをや。
(往生礼讃)
また云わく、仰ぎ願わくは一切往生人等、善く自ら己が能を思量せよ。今身にかの国に生まれんと願わん者は、行住座臥に、必ず須らく心を励まし己に剋して、昼夜に廃することなかるべし。畢命を期として、