p.250 顕浄土真実信文類三(教行信証・信)
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真に知りぬ。弥勒大士、等覚金剛心を窮むるがゆえに、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるがゆえに、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。かるがゆえに「便同」と曰うなり。しかのみならず、金剛心を獲る者は、すなわち韋提と等しく、すなわち喜・悟・信の忍を獲得すべし。これすなわち往相回向の真心徹到するがゆえに、不可思議の本誓に籍るがゆえなり。
真知、弥勒大士窮等覚金剛心故、龍華三会之暁、当極無上覚位。念仏衆生窮横超金剛心故、臨終一念之夕、超証大般涅槃。故曰便同也。加之、獲金剛心者則与韋提等即可獲得喜・悟・信之忍。是則往相回向之真心徹到故、藉不可思議之本誓故也。
(楽邦文類)
禅宗の智覚、念仏行者を讃めて云わく、奇なるかな、仏力難思なれば、古今も未だあらず、と。
(同右)
律宗の元照師の云わく、ああ、教観に明らかなること、熟か智者に如かんや。終わりに臨みて『観経』を挙し、浄土を讃じて長く逝きんき。法界に達せること、熟か杜順に如かんや。四衆を勧め仏陀を念じて、勝相を感じて西に邁きき。禅に参わり性を見ること、熟か高玉・智覚に如かんや。みな社を結び仏を念じて倶に上品に登りき。業儒才ある、熟か劉・雷・柳子厚・白楽天に如かんや。しかるにみな筆を秉り誠を書して、かの土に生まれんとを願じき、と。
已上
「仮」と言うは、すなわちこれ聖道の諸機、浄土定散の機なり。
言仮者即是聖道諸機、浄土定散機也。
(般舟讃)
かるがゆえに光明師の云わく、仏教多門にして八万四なり、正しく衆生の機、不同なるがためなり、と。