p.333 顕浄土方便化身土文類六 本(教行信証・化身土 本)
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彰の義に依れば一なり。知るべし。
大経観経、依顕義異、依彰義一也。可知。
(玄義分)
しかれば光明寺の和尚の云わく、しかるに娑婆の化主、その請に因るがゆえに、すなわち広く浄土の要門を開く。安楽の能人、別意の弘願を顕彰す。それ要門とは、すなわちこの『観経』の定散二門これなり。定はすなわち慮りを息めて、もって心を凝らす。散はすなわち悪を廃して、もって善を修す。この二行を回して、往生を求願せよとなり。弘願というは『大経』の説のごとし、といえり。
また云わく、今この『観経』はすなわち観仏三昧をもって宗とす、また念仏三昧をもって宗とす、一心に回願して浄土に往生するを体とす、と。「教之大小」と言うは、問うて曰わく、この経は二蔵の中にはいずれの蔵にか摂する、二教の中にはいずれの教にか収むるや。答えて曰わく、今この『観経』は、菩薩蔵に収む、頓教の摂なり、と。
(序分義)
また云わく、また「如是」と言うは、すなわちこれは法を指す、定散両門なり。「是」とはすなわち定むる辞なり。機行必ず益す。これは如来の所説の言、錯謬なきことを明かす。かるがゆえに「如是」と名づく。また「如」と言うは、衆生の意のごとしとなり。心の所楽に随いて仏すなわちこれを度したまう。機教相応せるをまた称して「是」とす。かるがゆえに「如是」と言う。また「如是」と言うは、如来の所説を明かさんと欲す。漸を説くことは漸のごとし、頓を説くことは頓のごとし、相を説くこと相のごとし、空を説くこと空のごとし、人法を説くこと人法のごとし、天法を説くこと天法のごとし、小を説くこと小のごとし、大