これ死せる人なりといえども、なお麝香の死して用あるがごとし、衆生の善知識となること。」明らかに知りぬ、この時ようやく破戒を許して世の福田とす、前の『大集』に同じと。次に像季の後、まったくこれ戒なし。仏、時運を知ろしめして、末俗を済わんがために、名字の僧を讃めて世の福田としたまえりと。また『大集』の五十二に云わく、「もし後の末世に、我が法の中において、剃除鬚髪し、身に袈裟を着たらん名字の比丘、もし檀越ありて捨施供養せば、無量の福を得ん」と。また『賢愚経』に言わく、「もし檀越、将来末世に法尽きんとせんに垂んとして、正しく妻を蓄え子を侠ましめん、四人以上の名字僧衆、当に礼敬せんこと、舎利弗、大目連等のごとくすべし」と。また云わく、「もし破戒を打罵し、身に袈裟を着たるを知ることなからん罪は、万億の仏身より血を出だすに同じからんと。もし衆生ありて、我が法のために、剃除鬚髪し、袈裟を被服せんは、たとい戒を持たずとも、彼等はことごとくすでに涅槃の印のために印せらるるなり」(大集経)。乃至 『大悲経』に云わく、「仏、阿難に告げたまわく、将来世において法滅尽せんとせん時、当に比丘・比丘尼ありて我が法の中において出家を得たらんもの、己が手に児の臂を牽きて、共に遊行して、かの酒家より酒家に至らん、我が法の中において非梵行を作さん。彼等酒の因縁たりといえども、この賢劫の中において、当に千仏ましまして興出したまわんに、我が弟子となるべしと。次に後に弥勒、当に我がところを補ぐべし。乃至最後の盧至如来まで、かくのごとき次第に、汝当に知るべし。阿難、我が法の中において、ただ性はこれ沙門の行にして、自ら沙門と称せん、形は沙門に似てひさしく袈裟を被着することあらしめんは、賢劫において弥勒を首として乃至盧至如来まで、かのもろもろの沙門、かくのごときの仏の所にして、無余涅槃