「我涅槃して七百歳の後に、これ魔波旬ようやく起こりて、当にしきりに我が正法を壊すべし。たとえば猟師の身に法衣を服せんがごとし。魔波旬もまたかくのごとし。比丘像・比丘尼像・優婆塞・優婆夷像と作らんこと、またかくのごとしと。乃至 もろもろの比丘、奴婢・僕使・牛羊象馬・乃至銅鉄・釜鍑・大小銅盤・所須の物を受畜し、耕田種植・販売市易して、穀米を儲くることを聴すと。かくのごときの衆事、仏、大悲のゆえに衆生を憐愍して、みな蓄うることを聴さんと。かくのごときの経律は、ことごとくこれ魔説なり」」と云云。すでに「七百歳の後に、波旬ようやく起こらん」と云えり。かるがゆえに知りぬ。かの時の比丘、ようやく八不浄物を貪畜せん。この妄説を作さん。すなわちこれ魔の流なり。これらの経の中に、明らかに年代を指して具に行事を説けり。さらに疑うべからず。それ一文を挙ぐ。余はみな準知せよ。次に像法の後半、持戒減少し、破戒巨多ならん。かるがゆえに『涅槃』の六に云わく、乃至 また『十輪』に言わく、「もし我が法に依って出家して悪行を造作せん。これ沙門にあらずして自ら沙門と称し、また梵行にあらずして自ら梵行と称せん。かくのごときの比丘、よく一切の天・龍・夜叉、一切善法功徳伏蔵を開示して、衆生の善知識とならん。少欲知足ならずといえども、剃除鬚髪して、法服を被着せん。この因縁をもってのゆえに、よく衆生のために善根を増長せん。もろもろの天人において、善道を開示せん。乃至破戒の比丘、これ死せる人なりといえども、しかも戒の余才、牛黄のごとし。これ死するものといえども、人、ことさらにこれを取る。また麝香の、のちに用あるがごとし」と云云。すでに「迦羅林の中に、一つの鎮頭迦樹あり」と云えり。これは、像運すでに衰えて破戒濁世に僅に一二の持戒の比丘あらんに喩うるなりと。また云わく、「破戒の比丘、