空師ならびに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居諸を経たりき。
皇帝
諱守成 聖代、建暦辛の未の歳、子月の中旬第七日に、勅免を蒙りて、入洛して已後、空
(源空)、洛陽の東山の西の麓、鳥部野の北の辺、大谷に居たまいき。同じき二年壬申寅月の下旬第五日午の時、入滅したまう。奇瑞称計すべからず。『別伝』に見えたり。
しかるに愚禿釈の鸞、建仁辛の酉の暦、雑行を棄てて本願に帰す。元久乙の丑の歳、恩恕を蒙りて『選択』を書しき。同じき年の初夏中旬第四日に、「選択本願念仏集」の内題の字、ならびに「南無阿弥陀仏 往生之業 念仏為本」と、「釈の綽空」の字と、空
(源空)の真筆をもって、これを書かしめたまいき。同じき日、空の真影申し預かりて、図画し奉る。同じき二年閏七月下旬第九日、真影の銘に、真筆をもって「南無阿弥陀仏」と「若我成仏十方衆生 称我名号下至十声 若不生者不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生」の真文とを書かしめたまう。また夢の告に依って、