愚禿親鸞八十三歳
                    永仁元年癸巳十月六日
                            書写之


愚禿鈔 下

賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。
賢者の信は、   内は賢にして外は愚なり、
愚禿が心は、   内は愚にして外は賢なり。
 唐朝の光明寺の和尚の『観経義』に云わく、
「先ず上品上生の位の中について、乃至 一に「仏告阿難」より已外はすなわち双べて二の意を標す。一に告命を明かす。二にその位を弁定することを明かす、これすなわち大乗の上善を修学する凡夫人なり。二に「若有衆生」より下「即便往生」に至るまで已来は、正しくすべて有生の類を挙ぐることを明かす。すなわちそれに四あり。一には能信の人を明かす。二には往生を求願することを明かす。三には発心の多少を明かす。四には得生の益を明かす。三には「何等為三」より下「必生彼国」に至るまで已来は、正しく三心を弁定してもって正因とすることを明かす。すなわち二あり。一は世尊機に随いて益を顕すこと、意密にして知りがたし。