おなじくらいとなるとときたまえり。しかれば、『大経』には「次如弥勒」とのたまえり。
 『浄土論』(論註)に曰わく、「荘厳妙声功徳成就者、偈言梵声悟深遠 微妙聞十方故。此云何不思議。経言、若人但聞彼国土清浄安楽、剋念願生、亦得往生、即入正定聚。此是国土名字、為仏事。安可思議。乃至 荘厳眷属功徳成就者、偈言如来浄華衆正覚華化生故。此云何不思議。凡是雑生世界、若胎、若卵、若湿、若化、眷属若干、苦楽万品。以雑業故。彼安楽国土、莫非是阿弥陀如来正覚浄華之所化生。同一念仏無別道故。遠通夫四海之内皆為兄弟也、眷属無量。焉可思議。」
 また言わく、「願往生者、本則三三之品、今無一二之殊。亦如淄澠 食陵反 一味。焉可思議」已上
 また『論』に曰わく、「荘厳清浄功徳成就者、偈言観彼世界相 勝過三界道故。此云何不思議。有凡夫人煩悩成就、亦得生彼浄土、三界繫業畢竟不牽、則是不断煩悩得涅槃分。焉可思議」已上抄要
 この阿弥陀如来の往相回向の選択本願を、みたてまつるなり。これを難思議往生ともうす。これをこころえて、他力には義なきを義とすとしるべし。
 二に、還相回向というは、『浄土論』に曰わく、「以本願力回向故、是名出第五門」これは還相の回向なり。一生補処の悲願にあらわれたり。大慈大悲の願、『大経』にのたまわく、「設我得仏、他方仏土諸菩薩衆、