報恩講私記(式文)
先総礼 次三礼 次如来唄 次表白
敬いて大恩教主釈迦如来、極楽能化弥陀善逝、称讃浄土三部妙典、八万十二顕密聖教、観音・勢至・九品聖衆、念仏伝来の諸大師等、総じては仏眼所照微塵刹土の現不現前の一切の三宝に白して言さく、弟子四禅の線の端に、適、南浮人身の針を貫き、曠海の浪の上に、希に、西土仏教の査に遇えり。ここに祖師聖人の化導によりて、法蔵因位の本誓を聴く、歓喜胸に満ち渇仰肝に銘ず。しかればすなわち、報じても報ずべきは大悲の仏恩、謝しても謝すべきは師長の遺徳なり。かるがゆえに、観音大士の頂上には本師弥陀を案じ、大聖慈尊の宝冠には釈迦の舎利を戴きたまう。縦い、万劫を経とも、一端をも報じ叵し、しかじ、名願を念じて彼の本懐に順ぜんには。今、三つの徳を揚げて、将に、四輩を勧めんとおもう。
一つには真宗興行の徳を讃じ、二つには本願相応の徳を嘆じ、三つには滅後利益の徳を述す。伏して乞う、三宝、哀愍納受したまえ。
第一に真宗興行の徳を讃ずというは、俗姓は後長岡の丞相 内麿公 の末孫、前皇太后宮大進有範の息男なり。幼稚の古、壮年の昔、耶嬢の家を出でて台嶺の窓に入りたまいしよりこのかた、慈鎮和尚をもって師範と為て、顕密両宗の教法を習学す。蘿洞の霞の中には三諦一諦の妙理を窺い、草庵の月の前には瑜伽瑜祇の観念を凝らす。