8 一 「他力の願行をひさしく身にたもちながら、よしなき自力の執心にほだされて、むなしく流転しけるなり」(安心決定鈔)とそうろうを、え存ぜずそうろうよし、もうしあげ候うところに、仰せに、「ききわけて、え信ぜぬもののことなり」と、仰せそうらいき。
9 一 「「弥陀大悲のむねのうちに、かの常没の衆生、みちみちたる」(安心決定鈔)といえること、不審にそうろう」と、福田寺もうしあげられそうろう。仰せに、「仏心の蓮華は、むねにこそひらくべけれ、はらにあるべきや。「弥陀の身心の功徳、法界衆生の身のうち、こころのそこに、いりみつ」(安心決定鈔)ともあり。しかれば、ただ、領解の心中をさしてのことなり」と、仰せそうらいき。ありがたきよし、そうろうなり。
10 一 十月二十八日の太夜に、のたまわく、「『正信偈』・『和讃』をよみて、仏にも聖人にもまいらせんとおもうか、あさましや。他宗には、つとめをして回向するなり。御流には、他力信心をよくしれとおぼしめして、聖人の『和讃』にそのこころをあそばされたり。ことに、七高僧の御ねんごろなる御釈のこころを、『和讃』にききつくるようにあそばされて、その恩をよくよく存知して、「あらとうとや」と、念仏するは、仏恩の御ことを、聖人の御前にてよろこびもうすこころなり」と、くれぐれ、仰せそうらいき。
11 一 聖教をよくおぼえたりとも、他力の安心をしかと決定なくは、いたずらごとなり。弥陀をたのむところにて往生決定と信じて、ふたごころなく臨終までとおりそうらわば、往生すべきなり。
12 一 明応三年十一月、報恩講の二十四日、あかつき八時におきて、聖人の御前参拝もうしてそうろうに、すこしねぶりそうろううちに、ゆめともうつつともわかず、空善、おがみもうし候うようは、御厨子のうしろ