中に佛の項中の光明千二百萬里を照らす有り、中に佛の項中の光明一佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明兩佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明四佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明八佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明十五佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明三十佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明六十佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明百二十佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明五百佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明千佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明二千佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明四千佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明八千佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明萬六千佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明三萬二千佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明六萬四千佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明十三萬佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明二十六萬佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明五十萬佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明百萬佛國を照らす有り、中に佛の項中の光明二百萬佛國を照らす有り。佛言はく。八方・上下の無央數の諸佛、其の項中の光明、照らす所。皆是の如くなり。無量淸淨佛の項中の光明、千萬佛國を焰照す。諸佛の光明の照らす所に遠近有る所以は何んとなれば、本前世宿命に、道を求めて菩薩爲りし時、所願の功徳に、各々自ら大小有り、其れ然して後佛と作る時に、悉く各々自ら之を得たり。是の故に光明をして轉た同等ならざらしむ。諸佛の威神は同等なるのみと。自在の意の所欲、作爲して豫して計らず、無量淸淨佛の光明の照らす所最大なり、諸佛の光明の及ぶこと能はざる所なり。
佛無量淸淨佛の光明を稱譽したまふ。無量淸淨佛の光明は、極善にして善の中の明好なり。甚だ快きこと比無し、絶殊無極なり。無量淸淨佛の光明は、殊好にして、日月の明よりも勝れたること、百億萬倍なり。無量淸淨佛の光明は、諸佛の光明の中の極明なり。無量淸淨佛の光明は、諸佛の光明の中の極好なり。無量淸淨佛の光明は、諸佛の光明の中の極雄傑なり。無量淸淨佛の光明は、