廣さも亦四萬八千里なり。其の浴池は皆七寶もて轉た自ら共に相成ず。其の池水の底の沙は、皆復七寶・白珠・明月珠・摩尼珠を以てす。無量淸淨佛及び諸の菩薩・阿羅漢の浴池の中の水は、皆淸淨香潔なり。中に皆香華有り、悉く自然に生ず。百種の華、種種色異にし香を異にす。華皆千葉なり。諸の華甚だ香しきこと比無し。香言ふべからず。其の華の香は、亦復世間の華に非ず、復天上の華に勝れたり。是の華香は、八方・上下の衆の華香の中の精なり。自然に生ずるのみ。池中の水流行して、轉た相潅注す。池中の水流も亦遲からず亦駃からず、皆復自ら五の音聲を作せり。佛言はく。八方・上下の無央數の佛國の諸天・人民及び蜎飛・蠕動の類、諸の無量淸淨佛國に生ずる者は、都て皆是の七寶の水池の蓮華の中に化生し、便則ち自然に長大して、亦乳養の者無く、皆自然の飮食を食す。其の身體も、亦世間の人の身體に非ず、亦天上の人の身體にも非ず。皆衆善の徳を積みて、悉く自然虚無の身體を受け、甚だ姝好にして比無きなり。佛阿難に語りたまはく。世間の貧窮・乞丐人の如きは、帝王の邊に在りて住せしむれば、其の人の面目形貌、何等に類せんや。寧ろ帝王の面目・形貌・顏色に類するや、いなや。阿難言さく。假令ひ子をして帝王の邊に在りて住せしむれば、其の面目形状、甚だ醜惡にして好からず、帝王の面目形類の姝好なるに如かざること百千億萬倍なり。所以は何ん。乞人の貧窮困極なるを見るに、飮食未だ曾て美食の時有らず。既に惡食すら飽食を得ること能はず、食栽かに命を支へ、骨節相撐拄して、用て自ら給する所無し、常に乏しくして儲有ること無く、飢餓寒凍、怔忪愁苦せり。但其の前世の宿命に人と爲りし時、愚癡無智なるに坐り、富みて益々慳み、財有りて肯て仁賢を慈哀し、善を爲し博く愛して施與せず、但唐らに得んことを欲して、飮食を貪惜し獨り嗜美を食し、施貸して後に償報を得ることを信ぜず、復善を作して後世に其の福を得ることを信ぜず、蒙篭項佷にして、益々衆惡を作す。是の如くして壽終り、財物盡き索つく。素より恩徳無く、恃怙する所無し。惡道の中に入りて、之に坐りて苦に適ふ。然る後出でて解脱することを得て、今生に人と爲れども、下賤と作りて貧家に子と作り、強ひて人の形に像たれども、状貌甚だ醜く、衣被弊壞して、單り空しく獨立して、