無量淸淨佛國は、諸の無央數の佛國の中の都、自然の無爲爲ればなり。無量淸淨佛國は、最快明好、甚樂の無極爲ればなり。無量淸淨佛國の獨勝たるは何ん、本菩薩と爲りて道を求めたまひし時、所願勇猛精進にして懈らず、徳を累ねて致す所なるが故に乃し爾るのみ。阿逸菩薩、則ち大に歡喜し、長跪叉手して言さく。佛無量淸淨佛國の諸の阿羅漢、般泥洹し去る者甚だ衆多なりと説きたまふ。無央數の國土の快善の極明好最姝無比なること、乃し獨り爾るや。佛言はく。無量淸淨佛國の諸の菩薩・阿羅漢の居する所の七寶の舍宅の中に、虚空の中に在りて居る者有り、中に地に在りて居る者有り。中に意に舍宅をして最も高からしめんと欲する者有らば、舍宅則ち高し、中に意に舍宅をして最大ならしめんと欲する者有らば、舍宅則ち大なり、中に意に舍宅をして虚空の中に在らしめんと欲する者有らば、舍宅則ち虚空の中に在り、皆自然に意の作爲する所在るに隨ふ。中に殊に其の舍宅をして意の作爲する所に隨はしむること能はざる者有り。所以は何ん、中に能くする者有るは皆是前世宿命に道を求むる時、慈心精進にして益々諸善を作して、徳重きが能く致す所なり。中に致すこと能はざる者有るは、皆是前世宿命に道を求むる時、慈心精進ならず、善を作すこと少なく徳小なればなり。悉く各々自然に之を得。衣被服・飮食する所は、倶に自然平等なるのみ。是の故に同じからざるは、徳に大小の別有ればなり、知んぬ勇猛なるものは衆をして見せしむるのみ。佛阿逸菩薩に告げたまはく。若ぢ是の第六天上の天王の所居の處を見るやいなや。阿逸菩薩言さく。唯然なり。皆之を見る。佛言はく。無量淸淨佛國土の講堂舍宅、倍々復第六天王の所居の處に勝ること百千億萬倍なり。無量淸淨佛國は、其の諸の菩薩・阿羅漢、悉く皆洞かに視徹かに聽き、悉く復八方・上下、去・來・現在の事を見知す、復諸の無央數の天上・天下の人民及び蜎飛・蠕動の類を知る。皆悉く心意に念ずる所の善惡、口に言はんと欲する所を知る。皆何れの歳何れの劫中に度脱を得、人道を得、當に無量淸淨佛國に往生すべきことを知り、菩薩の道を作り阿羅漢の道を得べきことを知り、皆豫め之を知れり。無量淸淨佛國の諸の菩薩・阿羅漢、其の項の中の光明、皆悉く自ら光明有りて、照らす所大小あり。其の諸の菩薩の中に、最尊の兩菩薩有りて、