我が名字の如くなる者有ること無し。甫始して當來の劫の諸の當來の佛、一劫・十劫・百劫・千劫・萬劫・億劫・萬億劫・億萬劫の、劫の中に一佛・十佛・百佛・千佛・萬佛・萬億佛・億萬佛有ます。中に佛佛各自ら名字有れども、名字各々異にして同じからざる有り。諸佛の名字、時に乃し一佛の我が名字釋迦文佛の如くなるもの有るのみ。諸の八方・上下の無央數の佛國、今現在の佛、次に他方異佛國の、一佛國・十佛國・百佛國・千佛國・萬佛國・億佛國・萬億佛國・億萬佛國、佛國の中に佛有ます、各各自ら名字有り。名字各異に、多多にして復同ずべからず。我が名字の如くなる者有ること無し。八方・上下の無央數の諸佛の中に、時時に乃し我が名字釋迦文佛の如くなるもの有るのみ。八方・上下、去・來・現在、其の中間曠絶甚遠にして、悠悠として無窮無極なり。佛智亘然として甚だ明かに古を採り今を知り、前に無窮を知り却へに未然を覩、豫め知ること極無く、都て復計るべからず。甚だ無央數なり。佛は威神尊明にして、皆悉く之を知ろしめす。佛の智慧は道徳と合明し、都て能く佛の經道を問ひて窮め極むる者有ること無し。佛の智慧は終に斗量し盡くすべからず。阿難佛の言を聞きて、則ち大に恐怖し衣毛皆起つ。阿難佛に白して言さく。我敢て佛所に疑意有るにあらず。佛に問いたてまつる所以は、他方の佛國に皆須彌山有り、其の第一四王天、第二忉利天、皆之に依因りて住止す、我恐らくは佛般泥曰の後、儻し諸天・人民、若しは比丘僧・比丘尼・優婆塞・優婆夷有りて、來りて我に問はん。無量淸淨佛の國は、何を以てか獨り須彌山無きや、其の第一四王天・第二忉利天、皆何等に依因りて住止するやと。我等應に之に答ふべし。今我佛に問ひたてまつらずば、佛去りたまひて後、我當に何等の語を持ちて之に答報すべきや。獨り佛自ら之を知りたまふのみ。其の餘の人は能く爲に之を解く者有ること無けん。是を以ての故に佛に問ひたてまつるのみ。佛言はく。阿難、若が言は是也、第三焔天、第四兜率天より、上第七梵天に至るまで、皆何等に依因りて住止するや。阿難言さく。是の諸天は皆自然に虚空の中に在りて住止し、依因る所無し。佛言はく。無量淸淨佛の國に、須彌山有ること無きは亦是の如し。第一四王天、第二忉利天、皆自然に虚空の中に在りて住止す。