佛説無量淸淨平等覺經卷第四

後漢月氏國三藏支婁迦讖譯
佛阿逸菩薩等に告げたまはく。若曹是の世に於て、能く自ら心を制し意を正しくして、身に惡を作さざれば、是を大徳の善と爲す。都て八方・上下に、最も比有ること無しと爲す。所以は何ん、八方・上下の無央數の佛國の中の諸天・人民は、皆自然に善を作して大に惡を爲さざれば、敎化し易し。今我是の世間に於て佛と爲る、五惡・五痛・五燒の中に於て佛と作ること最も劇しと爲す。人民を敎語して、五惡を絶たしめ、五痛を去らしめ、五燒を去らしめ、其の心を降化して、五善を持ち其の福徳・度世・長壽・泥洹の道を得しめん。佛言はく。何等をか五惡と爲し、何等をか五痛と爲し、何等をか五燒の中の者と爲す。何等をか五惡を消化して五善を持たしむる者と爲す。何等をか五善を持ちて、其の福徳・長壽・度世・泥洹の道を得と爲す。佛言はく。其の一惡とは、諸天・人民より、下禽獸・蜎飛・蠕動の類に至るまで、衆惡を爲さんと欲するに、強き者は弱きを伏して、轉た相剋賊し、自ら相殺傷して、更相に食噉す。善を爲すことを知らず、惡逆不道にして、其の殃罰を受く。道の自然なる、當に往いて趣向すべし。神明記識して、之を犯さば貰さず、轉た相承け續ぐ。故に貪窮・下賤・乞丐・孤獨なるもの有り、人に聾盲・瘖瘂・愚癡・弊惡なるもの有り、下に尫狂にして及び逮ばざるの屬有り、其の尊貴・豪富・高才・明達・智慧勇猛なるもの有るは、皆其の前世宿命に、善を爲し、慈孝にして恩を布き徳を施せるが故なり。官事王法の牢獄有れども、肯て畏れ愼まず、惡を作して法に入り其の過讁を受く。重罰致りて劇し、解脱を求望すれども度出することを得難し。今世に是有り、目前に現在す。壽終りて尤も劇し。其の窈冥に入りて身を受けて更た生ず、譬へば王法の劇苦極刑の若し。故に自然の泥犁・禽獸・薜荔・蜎飛・蠕動の類屬有り身形を貿へ、惡を改め道を易へて、