他化自在天の金を安樂國中の光明に比するに則現ぜず。所以は何かんとなれば、彼の土の金光は垢業より生ずることを絶ちたまへるが故に、淸淨にして成就せざること无し。故に安樂淨土は是れ无生忍の菩薩の淨業の所起なり、阿彌陀如來法王の所領なり。阿彌陀如來を增上縁と爲したまふが故に、是の故に「无垢光炎熾明淨曜世間」と言たまへり。「曜世間」は二種世間を曜すなり。
寶性功德草 柔軟左右旋 觸者生勝樂 過迦旃隣陀
此の四句は莊嚴觸功德成就と名く。佛本と何が故ぞ此の莊嚴を起したまふと。有る國土を見そなはすに、金玉を寶重すと雖も衣服と爲することを得ず、明鏡を珍翫それども敷具に議しきこと无し。斯に縁て目を悅ばしむれども身に便りならざるなり、身・眼の二情豈に鉾楯せざらむや。是の故に願じて言たまはく。我が國土の人天の六情水乳に和してつひに楚越の勞を去らしめむと。所以に七寶柔軟にして目を悅ばしめ身に便りならむと。「迦旃隣陀」は、天竺の柔軟草の名なり。これに觸れば能く樂受を生ず、故に以て喩と爲す。註者の言はく。此の間の土・石・草木は各定躰有り、譯者何に縁てか彼の寶を目けて草と爲するや。當に其の葻
草得風皃父虫反 に能く藀
草旋皃一焭反 細草曰亡小反 を以ての故に草を以て之に目くのみと。余若し參譯せば當に別の途有るべし。「生勝樂」は、迦旃隣陀に觸れば染着の樂を生ず、彼の軟寶に觸れば法喜の樂を生ず。二事相ひはるかなり。勝に非ずは如何ぞ是せむ。故に「寶性功德草柔軟左右旋觸者生勝樂過迦旃隣陀」と言たまふ。
寶華千万種 彌覆池流泉 微風動華葉 交錯光乱轉