本は則ち三三の品なれども、今は一二の殊无し。亦溜澠
食石陵反 の一味なるが如し、焉んぞ思議すべきや。
莊嚴一切所求滿足功德成就とは、偈に衆生所願樂一切能滿足と言へるが故にと。
此れ云何が不思議なる、彼の國の人天若し他方世界の无量の佛刹に往て諸佛・菩薩を供養せむと欲願せむ、及び所須の供養の具、願に稱はざること无けむ。又彼の壽命を捨てて餘國に向て生じて偱短自在ならむと欲はむ、願に隨て皆得。未だ自在の位に階はずして自在の用に同じからむ。焉んぞ思議すべきや。
自利利他を示現といふは、
略して彼の阿彌陀佛國土の十七種莊嚴功德成就を説て、如來の自身利益大功德力成就と、利益他功德成就とを示現するが故にと。
「略」と言ふは、彼の淨土の功德は无量にして、唯十七種のみにあらざることを彰すなり。夫れ須彌を之を芥子に入れ毛孔に之を大海を納む、豈に山海の神ならむや、毛芥の力ならむや、能神の者の神ならくのみ。是の故に十七種利他と曰ふと雖も、自利の義炳然なり、知るべしと。
入第一義諦は、
彼の无量壽佛國土の莊嚴第一義諦妙境界相なり。十六句及び一句、次第に説つ、知るべしと。
「第一義諦」は、佛の因縁法なり。此の諦は是れ境の義なり、是の故に莊嚴等の十六句を稱して「妙境界相」と爲す。此の義入法句の文に至て當に更に解釋すべし。