凡そ廻向の名義を釋せば、謂く己れが所集の一切の功德を以て一切衆生に施與して共に佛道に向むるなり。「巧方便」は、謂く菩薩願ずらく、己れが智慧の火を以て一切衆生の煩惱の草木を燒かむ。若し一衆生として佛に成らざること有らば、我佛に作さじと。而に彼の衆生未だ盡ず、成佛せば菩薩已に自らも成佛せ、譬ば火擿 聽念反 して一切の草木を摘 聽歴反 みて燒て盡さしめむと欲ふに、草木未だ盡きざるに火擿已に盡きむが如し、其の身を後にして身を先とするを以ての故に巧方便と名く。此の中に方便と言ふは、謂く一切衆生を攝取して共に同じく彼の安樂佛國に生ぜむと作願す、彼の佛國は即是畢竟成佛の道路、无上の方便なり。

鄣菩提門といふは、
菩薩是の如く善く廻向成就を知て即ち能く三種の菩提門相違の法を遠離すべし。何等をか三種。一には智慧門に依て自樂を求めず、我心自身に貪着することを遠離するが故にと。
進を知て退を守るを「智」と曰ふ、空无我を知るを「慧」と曰ふ。智に依るが故に自樂を求めず。惠に依るが故に我心自身に貪着することを遠離す。
二には慈悲門に依て一切衆生の苦を拔く、无安衆生心を遠離するが故に。
苦を拔くを「慈」と曰ふ。樂を與るを「悲」と曰ふ。慈に依るが故に一切衆生の苦を拔く、悲によるが故に无安衆生心を遠離するなり。
三には方便門に依て一切衆生を憐愍して、心自身を供養し恭敬する心を遠離せるが故にと。
正直を「方」と曰ふ、外己を「便」と曰ふ。正直に依るが故に一切衆生を憐愍する心を生ず、外己に依るが故に自身を供養し恭敬する心を遠離す。