彼の渡を念ずるが如くにして于十念を逕ふべし。若しは佛の名字を、若しは佛の相好を念じ、若しは佛の光明を念じ、若しは佛の神力を念じ、若しは佛の功徳を念じ、若しは佛の智惠を念じ、若しは佛の本願を念じて他心間雜すること无く、心心相次ぎ乃至十念するを名けて十念相續と爲す。一往十念相續と言へば難からざるに似若たり、然れども凡夫、心は野馬の猶く、識は猿猴よりも劇し、駛して六塵に馳暫も停息すること无し、宣く信心を及ぼして預して自ら剋念して積習して性を成し善根堅固ならしむべしなり。佛頻婆娑羅王に告げたまふが如し、人善行を積めば死するに惡念无し、樹の西に傾き倒るるに必ず曲れるに隨ふが如きなり。若し刀風一び至らしめば百苦身に湊まる、習在らざんば懷念何ぞ辨ずべけん。又宜く同志五三共に言要を結びて命終に垂たる時、迭に相開曉して爲に阿彌陀佛の名號を稱じて安樂に生まれんと願じ、聲聲相次で十念を成ぜしむべしなり。譬へば臈印もて泥に印するに、印壞して文成ずるが如く、此に命斷する時は即ち是安樂國に生ずる時なり。一び正定聚に入れば更に何の憂ふる所あらん。

略論安樂淨土義