現在の彌陀は是報佛、極樂寶莊嚴國は是報土なり。然るに古舊相傳へて皆阿彌陀佛は是化身、土も亦是化土なりと云へり、此を大失と爲すなり。若し爾らば穢土も亦化身の所居なり、淨土も亦化身の所居ならば、未審し、如來の報身更に何れの土に依るや。今『大乘同性經』に依て報化淨穢を辨定せば、『經』(卷下意)に云く。「淨土の中の成佛は悉く是報身なり、穢土の中の成佛は悉く是化身なり」と。彼の『經』(大乘同性經卷下意)に云く。「阿彌陀如來・蓮華開敷星王如來・龍主王如來・寶德如來等の諸の如來の淸淨の佛刹に、現に道を得し者、當に道を得べし者、是の如きの一切は皆是報身の佛なり。何者か如來の化身なる。由し今日の踊歩健如來・魔恐怖如來の如き、是の如き等の一切の如來、穢濁世の中に現に成佛せる者、當に成佛と成すべき者、兜率より下り乃至一切の正法・一切の像法・一切の末法を住持する如き、是の如きの化事、皆是化身の佛なり。何者か如來の法身なる。如來の眞法身は、色無く形無く、現無く著無く、見るべからず、言説無く住處無く、生無く滅無し。是を眞法身の義と名く」と。 問て曰く。如來の報身は常住なり。云何ぞ『觀音授記經』(意)に、「阿彌陀佛入涅槃の後、觀世音菩薩次で佛處を補ふ」と云ふや。答て曰く。此は是報身の隱沒の相を示現するなり、滅度には非ざるなり。彼の『經』(觀音授記經意)に云く。「阿彌陀佛入涅槃の後、復深厚善根の衆生有りて還見ること故の如し」と。即ち其の證なり。又『寶性論』(卷四意)に云く。「報身に五種の相有ます。説法と及び可見と諸業不休息及び休息隱沒と、示現不實體となり」と。即ち其の證なり。 問て曰く。釋迦如來の報身・報土は何れの方にか在るや。答て曰く。『涅槃經』(北本卷二四・南本卷二二意)に云く。