是の故に『淨土論』(道安)に云く。「一質成ぜざるが故に淨穢虧盈有り。異質成ぜざるが故に原を搜れば則ち冥一なり。無質成ぜざるが故に縁起すれば則ち萬形なり」と。故に知んぬ、若し法性の淨土に據らば則ち淸濁を論ぜず、若し報化の大悲に據らば則ち淨穢無きに非ざるなり。又汎く佛土を明して機感の不同に對するに、其の三種の差別有り。一には眞より報を垂るるを名けて報土と爲す。猶し日光の四天下を照らすが如し、法身は日の如く報化は光の如し。二には無而忽有なる之を名けて化と爲す。即ち『四分律』(卷三一意)に云ふが如し。「錠光如來提婆城を化して拔提城と相近くして共に親婚を爲して往來す。後の時に忽然火を化して燒卻す。諸の衆生をして此の無常を覩せしめて厭を生じ佛道に歸向せしめずといふこと莫し」と。是の故に『經』(維摩經卷中意)に云く。「或は劫火燒きて天地皆洞然なるを現じて、衆生の常想有るものをして照らかに無常を知らしめ、或は貧乏を濟はんが爲に現じて無盡藏を立し、縁に隨ひて廣く開導して菩提心を發さしむ」と。三には穢を隱し淨を顯す。『維摩經』(卷上意)の如し。「佛足指を以て地を按じたまふに三千刹土嚴淨ならずといふこと莫し」と。今此の無量壽國は即ち是眞より報を垂るる國なり。何を以てか知ることを得る、『觀音授記經』(意)に依るに云く。「未來に觀音成佛して阿彌陀佛の處に替りたまふ」と。故に知んぬ、是報なり。
[第一大門 八、凡聖通往]
第八に彌陀の淨國は位上下を該ね凡聖通じて往くことを明かすとは、今此の無量壽國は是其の報の淨土なり。佛願に由るが故に、乃ち上下を該通して凡夫の善をして竝に往生を得しむることを致す。上を該するに由るが故に天親・龍樹及び上地の菩薩亦皆生ずるなり。是の故に『大經』(卷下意)に云く。「彌勒菩薩佛に問ひたてまつる。未だ知らず、此の界に幾許の不退の菩薩有りて彼國に生ずることを得るやと。佛言はく。此の娑婆世界に六十七億の不退の菩薩有りて皆當に往生すべし」と。若し廣く引かんと欲はば餘方皆爾なり。