安樂集卷下
釋道綽撰
[第四大門]
第四大門の中に三番の料簡有り。第一に中國の三藏法師并びに此土の大德等、皆共に聖敎を詳審し淨土に歎歸するに依り、今以て勸め依らしむ。第二に此の經の宗及び餘の大乘諸部の凡聖の修入、多く念佛三昧を明して以て要門と爲すに據る。第三に問答解釋して念佛者の種種の功能利益を得ること不可思議なることを顯す。
[第四大門 一、念佛大德所行]
第一に中國及以び此土の大德の所行に依るとは、余は五翳にして牆に面するがごとし。豈寧ぞ自ら輒くせんや。但遊歴し披勘するを以て師承有りと敬ふ。何となれば、謂く中國の大乘法師流支三藏あり。次に大德の名利を呵避する有り、則ち慧寵法師有り。次に大德の尋常に敷演する毎に聖僧の來聽を感ずる有り、則ち道場法師有り。次に大德の光を和げて孤り栖みて二國慕仰する有り、則ち曇鸞法師有り。次に大德の禪觀に獨り秀でたる有り、則ち大海禪師有り。次に大德の聰慧にして戒を守る有り、則ち齊朝の上統有り。然るに前の六大德は竝に是二諦の神鏡、斯れ乃ち佛法の綱維なり。志行倫を殊にして古今に實に希なり。皆共に大乘を詳審して淨土に歎歸す。乃ち是無上の要門なればなり。 問て曰く。既に淨土に歎歸す乃ち是要門なればなりと云はば、未だ知らず、此等の諸德臨終の時皆靈驗有りや已ずや。答て曰く。皆有り、虚しからず。曇鸞法師の如きは康存の日常に淨土を修す。