故に常念と言ふ。全く餘の三昧を行ぜずと謂ふには非ず。 第二に問て曰く。若し常に念佛三昧を修することを勸めば、餘の三昧と能く階降有りや以不や。答て曰く。念佛三昧の勝相は不可思議なり。此れ云何が知る。『摩訶衍』(智度論卷七意)の中に説きて云ふが如し。「諸餘の三昧、三昧ならざるには非ず。何を以ての故に。或は三昧有り、但能く貪を除きて瞋・癡を除くこと能はず。或は三昧有り、但能く瞋を除きて癡・貪を除くこと能はず。或は三昧有り、但能く癡を除きて貪・瞋を除くこと能はず。或は三昧有り、但能く現在の障を除きて過去・未來の一切諸障を除くこと能はず。若し能く常に念佛三昧を修すれば現在・過去・未來の一切諸障を問ふこと無く悉く皆除くなり」。 第三に問て曰く。念佛三昧既に能く障を除き福を得ること功利大ならば、未審し、亦能く行者を資益して年を延べ壽を益さしむや以不や。答て曰く。必ず得べし。何となれば『惟無三昧經』に云ふが如し。「兄弟二人有り、兄は因果を信じ、弟は信心無けれども、而も能善く相法を解れり。其の鏡の中に因て自ら面上を見るに死相已に現じて七日を過ぎず。時に智者有りて敎へて往いて佛に問はしむ。佛時に報へて言はく。七日といふは虚ならず、若し能く一心に念佛し戒を修せば或は難を度することを得んと。尋即ち敎に依て繋念す。時に六日に至りて即ち二鬼有り、來りて耳に其の念佛の聲を聞きて竟に能く前進むこと無し。還りて閻羅王に告ぐ。閻羅王符を索む。已に注して云く。持戒念佛の功德に由て第三炎天に生る」と。又『譬喩經』の中にいはく、「一の長者有り、罪福を信ぜず、年已に五十。忽に夜夢に見るらく、刹鬼符を索して來りて之を取らんと欲し十日を過ぎずといふ。其の人眠覺めて惶怖すること常に非ず。明に至りて相師を求覓めて夢を占はしむ。師卦兆を作りて云く。刹鬼有り、必ず相害せんと欲すと。十日を過ぎずして、其の人惶怖すること常に倍して佛に詣でて求請す。佛時に報へて云はく。若し此を攘はんと欲はば今より已去意を專にして佛を念じ戒を持ち香を燒き燈を燃し繒幡盇を懸け、