直人情を以て義に準ずるや、爲當亦聖敎有りて來し證するや。答て曰く。衆生は垢重くして智慧淺近なり、聖意は弘深なり、豈寧ぞ自ら輒くせんや。今者一一に悉く佛説を取りて、以て明證と爲ん。此の證の中に就て、即ち其の十句有り。何となれば、第一に『觀經』に云ふが如し。「佛韋提に告げたまはく。我今汝が爲に廣く衆の譬を説き、亦未來世の一切凡夫の淨業を修せんと欲はん者をして、西方極樂國土に生ずることを得しめん」とは、是其の一の證なり。二に「如來今者未來世の一切衆生の煩惱の賊の爲に害せられん者の爲に淸淨の業を説く」と言ふは、是其の二の證なり。三に「如來今者韋提希及び未來世の一切衆生を敎へて、西方極樂世界を觀ぜしめん」と言ふは、是其の三の證なり。四に「韋提佛に白さく。我今佛力に因るが故に彼の國土を見る、若し佛の滅後の諸の衆生等は、濁惡不善にして五苦に逼められん。云何ぞ當に彼の佛の國土を見たてまつるべし」と言ふは、是其の四の證なり。五に日觀の初に云ふが如し。「佛韋提に告げたまはく。汝及び衆生念を專にせよ」といふより已下乃至「一切衆生生盲に非ざるよりは、有目の徒日を見よ」といふ已來は、是其の五の證なり。六に地觀の中に説きて言ふが如し。「佛阿難に告げたまはく。汝佛語を持ち、未來世の一切衆生の苦を脱れんと欲はん者の爲に、是の觀地の法を説け」といふは、是其の六の證なり。七に華座觀の中に説きて言ふが如し。「韋提佛に白さく。我佛力に因て阿彌陀佛及び二菩薩を見たてまつることを得たり、未來の衆生は云何してか見たてまつることを得ん」とは、是其の七の證なり。八に次下の請に答ふる中に説きて言く。「佛韋提に告げたまはく。汝及び衆生、彼の佛を觀んと欲はん者は當に想念を起すべし」とは、是其の八の證なり。九に像觀の中に説きて言ふが如し。「佛韋提に告げたまはく。諸佛如來は一切衆生の心想の中に入る、是の故に汝等心に佛を想ふ時」といふは、