若し善に遇はずば定んで三塗に入りて未だ出づべからず。下が中とは、「此の人先に佛戒を受く、受け已りて持たずして即便ち毀破す。又常住僧物・現前僧物を偸み、不淨説法して乃至一念慙愧の心有ること無し。命終らむと欲する時、地獄の猛火一時に倶に至りて、現じて其の前に在り。火を見る時に當りて、即ち善知識爲に彼の佛國土の功德を説き、勸めて往生せしむるに遇ふ。此の人聞き已りて即便ち佛を見たてまつり、化に隨ひて往生す」(意)と。初には善に遇ずして獄火來迎し、後には善に逢ふが故に化佛來迎す、斯れ乃ち皆是彌陀願力の故なり。下が下とは、「此等の衆生不善業たる五逆・十惡を作り、諸の不善を具せん。此の人惡業を以ての故に、定んで地獄に墮して多劫竆無からん。命終らんと欲する時、善知識の敎へて阿彌陀佛を稱せしめ、勸めて往生せしむるに遇はん。此の人敎に依て佛を稱し、念に乘じて即ち生ず」(意)と。此の人若し善に遇はずば、必定して下沈すべし、終に善に遇ふに由て七寶來迎す。
又此の『觀經』の定善及び三輩上下の文意を看るに、總て是佛世を去りたまひて後の五濁の凡夫なり。但縁に遇ふに異有るを以て、九品をして差別せしむることを致す。何となれば、上品の三人は是大に遇へる凡夫、中品の三人は是小に遇へる凡夫、下品の三人は是惡に遇へる凡夫なり。惡業を以ての故に、終に臨みて善に藉り、佛の願力に乘じて乃ち往生を得、彼に到りて華開けて方に始めて發心す。何ぞ是始學大乘の人と言ふことを得むや。若し此の見を作さば自ら失し他を悞りて害を爲すこと茲甚し。今以て一一文を出し證を顯して今の時の善惡の凡夫をして同じく九品に沾はしめんと欲す。信を生じて疑無ければ、佛の願力に乘じて悉く生ずることを得るなり。
[和會門 出文顯證]
第四に文を出して顯證すとは、 問て曰く。上來返對の義、云何が知ることを得たる。世尊定んで凡夫の爲にして聖人の爲にせずといふは未審し、