[六、寶樓觀]
六に寶樓觀の中に就て、亦先づ擧げ、次に辨じ、後に結す。即ち其の十一有り。
初めに「衆寶國土」と言ふは、即ち是總じて觀の名を擧げて、前を牒し後を生ず。此れ淨土に寶流潅注すること有りと雖も、若し寶樓宮閣無くば、亦未だ精と爲さざることを明す。此が爲に依報の莊嚴、種種に圓備す。
二に「一一界上」と言ふは、正しく寶樓の住處地界、彼の國に徧じ、樓亦無窮なることを明す。
三に「有五百億」と言ふは、正しく其の數を顯す。一界の上既に然り、彼の國に徧滿して亦皆是くの如し。應に知るべし。
四に「其樓閣中」より下「作天伎樂」に至る已來は、正しく閣内の莊嚴を明す。
五に「又有樂器」より下「不鼓自鳴」に至る已來は、正しく樓外の莊嚴を明す。寶樂空に飛びて、聲法響を流す。晝夜六時に、天の寶幢の如く、思無くして自の事を成ず。
六に「此衆音中」より下「念比丘僧」に至る已來は、正しく樂、識無しと雖も、即ち説法の能有ることを明す。
七に「此想成已」より下「寶池」に至る已來は、正しく觀成の相を顯すことを明す。此れ心を專にして境に住め、寶樓を見んと悕ひて、念を剋して移らざれば、自ら上の莊嚴總じて現ずることを明す。
八に「是爲」より下は總じて結す。
九に「若見此者」よりは、前の觀の相を牒して後の利益を生ず。
十に「除無量」より下「生彼國」に至る已來は、正しく法に依りて觀察すれば、障を除くこと多劫、身器淸淨にして、佛の本心に應ひ、身を捨てて他世に必ず往くこと疑無きことを明す。
十一に「作是觀者」より下「邪觀」に至る已來は、觀の邪正の相を辨ず。
上來十一句の不同有りと雖も、廣く寶樓觀を明し竟んぬ。
[七、華座觀]
七に華座觀の中に就て、亦先づ擧げ、次に辨じ、後に結す。即ち其の十九有り。
一に「佛告阿難」より下「除苦惱法」に至る已來は、