正しく敕聽許説したまふことを明す。即ち其の三有り。一には二人に告命することを明す。二には敕聽して之を諦かに受け、正念に修行せしむることを明す。三には佛爲に華座の觀法は、但能く心を住せしめて縁念すれば、罪苦除こることを得ることを説きたまふことを明す。
二に「汝等憶持」より下「解説」に至る已來は、正しく流通を勸發することを明す。此れ觀法は深要にして、急に常沒の衆生、妄愛の迷心によりて六道に漂流するを救ふ。。汝此の觀を持ちて處處に觀修して普く知聞することを得しめて、同じく解脱に昇らしめよといふことを明す。
三に「説是語時」より下「不得爲比」に至る已來は、正しく娑婆の化主、物の爲の故に想を西方に住せしめ、安樂の慈尊、情を知るが故に則ち東域に影臨したまふことを明す。斯れ乃ち二尊の許應異なること無し、直以隱顯殊有り。正しく器朴の類万差なるに由て、互に郢匠爲らしむることを致す。「説是語時」と言ふは、正しく此の意の中に就て即ち其の七有ることを明す。一には二人に告勸する時を明す。二には彌陀聲に應じて即ち現じ、往生を證得せしめたまふことを明す。三には彌陀空に在りて立したまふは、但廻心し正念にして我が國に生ぜんと願ずれば、立ろに即ち生ずることを得しむることを明す。 問て曰く。佛德尊高なり、輒然として輕擧すべからず。既に能く本願を捨てずして來りて大悲に應ふ者、何が故ぞ端坐して機に赴かざるや。答て曰く。此れ如來別に密意有ますことを明す。但以みれば娑婆は苦界なり、雜惡同じく居して、八苦相燒く、動もすれば違返を成じ、詐り親しみて笑を含む、六賊常に隨ひて、三惡の火阬臨臨として入りなんと欲す。若し足を擧げて以て迷を救はずば、業繋の牢、何に由てか勉るることを得ん。斯の義の爲の故に、立ちながら撮りて即ち行き、端坐して以て機に赴くに及ばざるなり。四には觀音・勢至以て侍者と爲り、餘衆無きを表することを明す。五には三尊の身心圓淨にして、光明踰盛なることを明す。六には佛身の光明朗にして十方を照らす、垢障の凡夫何ぞ能く具に覩んといふことを明す。